大阪・関西万博

10月1日(水)に大阪・関西万博に出かけた。

12時の入場予約に間に合うよう地下鉄南森町駅から出発し、堺筋本町で中央線に乗り換え、弁天町―大阪港―コスモスクエアー舞洲(万博会場)に。コスモスクエアから舞洲までが今回の万博に合わせて延伸された。舞洲駅に近づくと車内アナウンスで「いよいよ舞洲です、万博のテーマソングとともに驚きと感動に満ちた舞洲へさあ行きましょう」と、コブクロの歌声をBGMに、期待が膨らむ。

大阪市は大阪湾にごみや、しんせつ土砂の最終処分地として海面埋め立てを行い舞洲、夢洲を人工島として整備した。1987年に廃棄物の受け入れは終了し、舞洲と命名された人工島はごみ焼却施設、下水汚泥処理工場、スポーツ施設、公園として活用されている。その後、夢島が焼却灰、建設残土、浚渫土砂の処分場として海面埋め立てが行われ、2020年に受け入れが終了した。この人工島夢洲が今回の大阪万博の会場に選ばれた。なお、万博会場の西側にはIR関連の施設の建設が進んでいて、2030年に開業が予定されている。
舞洲駅を降りて、東口ゲートに。約1時間40分も炎天下の蛇行で並んで、手荷物検査を受けて万博の会場に入る。

東ゲート前で手荷物検査を受けるのに並ぶ列
10月13日の閉幕を控え、会場は来場者で溢れていた。(当日の入場者は21万3000人)大屋根リングの外側に、日本企業のパビリオンが沢山あるが、そこはスルー。まずは、大屋根リングに上がって会場の全貌を見ることに。大屋根リングに上がるエスカレーターも行列。大屋根リングは一周が2㎞、高さ20mの巨大な木造建築物で、今回の万博のシンボルで、その建設費は350億円。世界最大の木造建築物としてギネス記録に認定された。現在、大屋根リングについては、全体を残すのか、一部を残すのかについて議論されている。

東通りからの大屋根リングを望む

大屋根リングの下(日差しを避け休憩する人であふれる)

混雑する大屋根リングへのエスカレータ

大屋根リング内の会場の様子
リングの外側は芝生で整備されているが、異常な暑さで芝生による緑化が失敗していた。
反時計回りで大屋根リング上のスカイウオークを散策。(以下は、スカイウオークから撮った写真)

韓国館

スペイン館

サウジアラビア館

インドネシア館

階段で大屋根リングを降りて、予約のとれているブルーオーシャンドーム館に向かう。

ブルーオーシャンドーム

ここは14時40分の予約が取れていたので、10分間並んで入館。水が階段状に撥水加工されたオブジェを流れ落ちるアート空間を見た後、円形の映像シアターに入場。ここではプラスチックの海洋汚染をテーマにした映像を見る。

円形の映像シアター館の内部

オーシャンドーム館を出た大屋根リング外側の西通りには、ガンダムパビリオン、PASONA NATUREVERSE館、よしもとwaraaii myraiii館が。いずれも人気パビリオンとのこと。

PASONA NATUREVERSE館(先端に鉄腕アトムが)

よしもとwaraaii myraiii館

再び、大屋根リング内に戻ると音楽バンドに合わせての行進で人だかり。ポーランドのナショナルデーのアトラクションであった。

次いで、大屋根リングの中央部にある、「静けさの森」に向かった。2.3haの敷地に1500本の木が植林されている。この木は、大阪の公園(万博記念公園、服部緑地公園等)から移植されている。大屋根リングの下以外に日陰のない会場での貴重な緑の公園になっている。この公園も万博後、残すかどうかについて議論されている。維持管理に費用がかかるだろうが、是非、大屋根リングとともに、残して欲しい。1970年の万博跡地が記念公園として今でも人気を集めているのがいいお手本である。

静けさの森

いのちの未来館(石黒館)

この後、会場を散策する。どこも人であふれている。人気のアメリカ館、フランス館には入場を待つ長い行列。

アメリカ館

フランス館

マレーシア館

光の広場を抜けてリングの内側に沿って歩いていると、アラブ首長国連邦(UAE)のパビリオンで、待ち時間なしで入れることから入場。このパビリオン、ナツメヤシでデコレーションされた円柱の柱のオブジェが特徴。出口付近で、スタッフのアラブ人と一緒に記念撮影した。

サウジアラビア館の内部

最後に、ヨルダン館に入場することができた。入館してすぐに、ガイドによるヨルダンの紹介があった後、ワディ・ラムの赤い砂が敷き詰められたメインフロアに裸足で入場する。寝転んで360度球形スクリーンに映し出される古代メソポタミア文明からのヨルダンの歴史と文化を楽しんだ。

球形スクリーンに映し出されるヨルダンの歴史

ヨルダン館を出て、真向かいにあるコモンズA館に入る。

コモンズA館の内部

コモンズA館を出た時点で、歩いた距離が2万歩に。夕方の混雑を避けて5時に会場を後にした。

東ゲートを出て、舞洲駅に向かう。

1970年の万博は、会場が大学の近くにあったことから、混雑の終わった夕方から割引券で何度も入場し、大半の展示を見ることができた。今回の万博は、並ばない万博を目指して、事前予約(多い場合には抽選)制をとったが、これが不評であった。加えて、異常な高温下での開催で年寄りや子供が楽しむにことは難しかった。しかし、当初赤字の予想が、一転して280億もの黒字になるとのこと。これを基金として、大阪・関西万博のレガシーを後世に残せるよう関係者が知恵を絞ることに期待したい。。

瀋陽再訪

2025年9月20日(土)から27日(土)、瀋陽と内モンゴル自治区の第二の都市包頭を訪問した。
瀋陽はコロナ前の2019年に訪れたのが最後で、6年ぶりの訪問となる。12時30分発の関空発瀋陽行き(南方航空)は予定通りに瀋陽に到着。空港には東北大学の朱教授が出迎えてくれた。30分遅れで鹿児島から到着した、鹿児島大学の野崎名誉教授、理学部の有馬准教授と合流する。

本来、鹿児島大学と東北大学の学生交流の一環で内モンゴル自治区のカンジカで植林活動を行う計画で、私も合流したいと希望し今回の瀋陽訪問を計画した。ところが、東北大学の学生の社会見学活動で、内モンゴル自治区にある中国黄金集団内蒙古鉱業有限公司のウヌグトゥ銅モリブデン鉱選鉱工場の浮選工程を見学中に格子板が脱落し、学生6人が浮選槽に転落死するという痛ましい事故が発生した。(中国経済新聞から)この事故が原因で、東北大学が瀋陽市以外での学生の活動を一切禁止したことから、今回の植林活動は残念ながら中止となってしまった。

私と野崎先生はこの植林活動に加え、朱先生が経営する東源環境科学技術有限公司の技術指導を行う予定もあったことから、急遽、東源環境科学技術有限公司が維持管理を請け負っている内モンゴル自治区の包頭の下水汚泥の堆肥化施設を見学することになった。

6年ぶりに訪問した瀋陽は、植林した木々が大きく成長し緑豊かな街に変身していた。街には大型のEV車が走り、以前は空室の目立った高層マンションに明りがともり、東北大学南門前の通りの屋台が消え、店舗はイルミネーションに飾られ、町全体が明るい雰囲気に変わり、GDP世界2位の実力を認識せざるを得なかった。

6年前には各種のシェアサイクルが街を席巻していたが、それが淘汰されて、現在は3社(黄、青、緑で塗られた自転車)のみとなっている。加えて、シェア電動スクーターも人気で、これも自転車と同じ黄、青、緑で塗られている。シェアサイクルの借り賃は驚くほど安い。広い東北大学の構内の移動はもっぱら黄色のシェアサイクルが活躍。そのレンタル料は学生ということもあり、3か月で3.1元(60円)と格安。

シェア電動スクーターのステーション

EV車は中国政府の補助もあり、その割合は10-20%にも。テスラよりもBYD社のEV車を多く見かけた。EV車はナンバープレートが緑色で分かりやすい。

緑のナンバープレートがEV車

BYDのEV車

問題はEVステーション。専用のEVステーション以外に、駐車場(空港、デパート、専用駐車場)に設けられていた。電動車といっても、電池のみで動くEV車と、ガソリンで発電して動くEV車(日本でe-POWERと呼ばれる)がある。朱先生の会社のEV車もe-POWERのボルボで、高速道路走行時でも音は静かで、乗り心地も良かった。発電にガソリンを使うことから、発電効率がいいとはいえ、疑問が残る。今後、EV車、ハイブリッド車の脱炭素効率を総合的に評価されることが求められる。

9月22日(月)早朝7時出発の、瀋陽発の成都航空のフライトで内モンゴル自治区
第二の都市、包頭に飛ぶ。(フライトは約2時間)内モンゴル自治区は南北に長い。これまで野崎先生と植林に通った内モンゴル自治区のカンジカは、瀋陽から車で4時間と比較的近いが、包頭は北京の西に位置していて、改めて内モンゴル自治区の長さに驚く。包頭は人口約200万人の街で製鉄、アルミ精錬、レアアースの鉱山、戦車も製造している重工業の盛んな街である。最近、包頭市を中心にレアアース産業の集積が加速していて、「レアアースの都」とも呼ばれている。郊外では鉱石を積んだトラックが多く行き来していた。秋の収穫期ということもあり郊外の道路沿いには収穫された果物、野菜(スイカ、トウモロコシ、かぼちゃ等)を売る露天商が並んでいた。包頭には、大きな石炭発電所があり、地元での消費を賄い、余った電力は他の都市に送っている。

宿泊した海徳酒店は、第11回の国際ユース運動会に参加者の宿泊ホテルとなっていたことから、多くのロシア人、モンゴル人の若者とエレベータで一緒になった。モンゴル人は体格が良く、大人は頭の両側をバリカンで刈り上げたスタイルですぐにモンゴル人とわかる。海徳酒店は市の中心街である鋼鉄大街に面している。老舗ホテルでも最新技術の導入には積極的で、ロボットがホテルマンの役割を果たしていた。チェックイン時にパスポートをフロントに預けたが、このロボットが部屋までパスポートを届けてくれ驚かされた。


ロボットホテルマン(柱の横で待機中の白いロボット)

22日に、東源環境が運営管理を請け負った下水汚泥処理施設を見学した。一日300トンの脱水下水汚泥(含水率80-85%)を堆肥化して含水率を20%にまで低下させる巨大な堆肥化施設で、東源環境が50人の作業員を雇用して運営している。私はこれほど多くの堆肥化施設を見学するのは初めてである。問題は、生成する大量の堆肥をどのように処分するかである。包頭市では発生する堆肥を、鉱山跡地の緑化、塩分濃度の高まった黄河沿岸域の土壌改良に活用しているとのこと。この処理施設の永続性は、大量に生成する堆肥の更なる活用方法にかかっている。それには、生成した堆肥の重金属濃度が問題となる。現状、堆肥の重金属濃度は基準値以下であるとのことであるが、堆肥を使う側、消費者の立場にたって、厳格なる下水汚泥の受け入れ基準の確立、施設運営の見える化が要求される。

翌日23日は包頭市郊外の砂漠(響沙砂漠)とチベット寺院(五当召)の見学に朱先生の案内で廻った。

響沙砂漠は、包頭市を南に下り、黄河を渡って車で20分のところに位置している。

黄河を渡って南下して響沙砂漠に向かう

カンジカ近くの砂漠をイメージしていたが、着いてみると砂漠は奥行きが狭く(東西には長い)、アミューズメントパークとして大規模に開発されていて、がっかり。大型連休や週末には多くの観光客が訪れることから、巨大な駐車場が整備されていた。砂漠には各種のアミューズメントが準備されていて、そこに行くには料金を払って、ロープウェイや専用の中型のツアーバスを使わなければならない。

響沙砂漠でのアクティビティを紹介する看板(砂漠でプール遊びも)

駐車場に車を止め、ツアーバスではるかかなたに見える白いテントのアクティビティ場所に行った。

五当召は包頭から北東45キロの位置し「国家重点文物保護」に指定され、4Aクラスの旅行景区である人気の観光スポット。チベット自治区の「ポタラ宮」、青海省の「塔尔寺」、甘粛省の「抗卜楞寺」と並び、中国の四大チベット寺院とされ、包頭を含む内モンゴル自治区では最大のチベット寺院。
チベットの寺院から経典を持ってきて建立され、清時代で1749年に再建されている。寺院は「五当溝」の山の中腹に建てられたことから、五当召と呼ばれている。南向きの丘陵地に、大小の殿堂と経堂、僧堂が建てられている。白い建築群が周りの山の緑によく映えていた。

五当召サービスセンター

南向きの丘陵地に建つ五当召の建物群

石段を登って殿堂に参拝する

五当召を囲む山は緑化に力を入れている(稜線に植林された松)

五当召の出口で見つけたコーヒー店に、インスタントでないことを確かめて入店した。コーヒ豆から挽く本格的なアメリカンコーヒーを大きめのコーヒーカップに入れてくれ、思いがけなく美味しいコーヒーを楽しむことができた。20年前の中国のコーヒーはインスタントが主流であったが、スタバが中国に進出して以降、コーヒーの質が急速に高まっている。お店からのサービスとして、チベットの紐を編みこんだデザイン性の高いお守りを頂いた。

コーヒーショップでもらったチベットのお守り

最終日、空き時間を利用してホテル周りの包頭市の中心街を散策した。町並みはきれいに整備され、緑化も進み、砂漠化最前線の街とは思えない。ただ、中国のどの都市でも言えることだが、歩道が駐車場として利用されていることから、車を避けながら、でこぼこになった歩道を進まなくてはならず、歩行者にとっては歩き辛い。

10月1日の国慶節を控え、包頭の主要道路脇には赤い五星紅旗がほぼ100m間隔で掲揚されていたのが印象的だった。

ホテルの部屋からの眺め(低層のアパートが多い)

市役所前の広場から包頭市役所を望む

最後に、今回瀋陽で頂いた料理を紹介する。レストランは清潔で、料理も洗練され内陸部の瀋陽でも新鮮な魚料理を楽しむことができる。

イカの姿煮

豆角烀饼(ドウジャオフービン)という中国東北地方の家庭料理(豆と肉などを煮込んだ鍋に、渦巻き状のパン生地を乗せて一緒に蒸し焼きにしたもの)

東北大学の先生方との懇親会(前列左から、朱教授、有馬先生、野崎先生、古川、後列左から王副教授、教え子の瀋陽工業大学の馬副教授)

今回は、強行軍の旅であったが、朱先生のお世話で体調を崩すことなく充実した1週間を過ごすことができた。

IANAS 2025

中国・青島市で開催されたInternational Anammox Symposium(IANAS) 2025(7月5日―6日)に出席するために、7月4日に関西空港から、山東航空SC4092便で青島膠東空港に向かった。
関西空港は大阪万博の開催前に長く続いていた大改修が終わり、これまで混雑していた手荷物検査や出国手続きがスムーズに行われるようになった。難点は、出国手続きの後、混雑した免税店をいやおうなしに通過しなければならないこと、シャトルに乗るまでの移動距離が長くなったことである。
SC4092便は夏休みということもあり、中国人の観光客で満席状態。青島膠東空港に20分遅れで到着。青島膠東空港は2年前にオープンした新しい空港で、入国手続きが新しい顔認証システムの導入でこれまでになくスムーズに行われるようになった。出口には、教え子の大連理工大学教授の喬森(Qiao Sen)教授と今回のANAS2025を引き受けてくれた山東大学の倪寿清(Ni Shou-Qing)教授の研究室の修士課程の学生Siさんが出迎えてくれた。羽田からIANAS 2025に参加した、農業・食品産業技術総合研究機構の和木美代子さんと関東天然瓦斯開発(株)の横田信幸さんと合流し、大型のワンボックスカーで今回のIANAS 2025 の会場となる青島藍谷国際酒店(Oceantec Valley Hotel Qingdao)に向かった。青島市の旧市街地から離れた郊外に位置するホテルまで、空港から高速道路を使って70分もかかった。このIANAS2025の会場のホテルと2021年に開学した山東大学青島キャンパスは隣り合わせとなっている。
到着後、登録を済ませ、ホテルにチェックイン。このホテルは2年前にオープンした新しいホテルで、夏休み時期とあって、家族連れの観光客で賑わっていた。

IANAS 2025の会場となった青島藍谷国際酒店

部屋からの眺め(中央の高い建物が山東大学青島キャンパスの図書館。左の建物が鉱物宝石博物館)

ホテルのロビーに設けられたIANAS2025の受付

講演会場への案内

IANAS2025のハンドブック

7月4日の夕食は、教え子の北京工業大学の張莉(Zhang Li)教授のアレンジで、ホテル内のレストランで私の教え子が4人(喬森教授、張莉教授、徐暁晨・大連理工大学教授、馬永光・瀋陽工業大学副教授)、友人の北京大学深圳キャンパス研究員の張君、張莉教授の博士課程の学生包君、和木さん、横田さんも加わりミニ同窓会となり、楽しいひと時を過ごすことができた。

前日の古川研究室のミニ同窓会

喬森教授とのツーショット

北京工業大学の張莉教授とのツーショット

瀋陽工業大学の馬副教授(右)と北京大学の張君(左)

IANAS2025の初日は、8時半から開会式。シンポジウムの運営委員会委員長の山東大学の倪寿清教授の司会で開会式が執り行われた。

倪寿清教授の司会で開会式が始まる

開会式の会場の様子

まず、主催団体となった山東大学の王副学長の挨拶があり、大学が国際的に情報発信することに力を入れているとの内容であった。続いて、IANAS2025学術委員会主席の北京工業大学彭永臻教授(中国工程院院士)のビデオによる挨拶があった。次いで、国際学術委員会主席のデルフト工科大学Mark van Loosdrecht教授のオンラインによる挨拶。最後に国際学術委員会主席でIANASの創設者である古川憲治(熊本大学名誉教授)から、これまでのIANASの歩みについての紹介とIANAS2025に関する期待が述べられた。

古川による開会の挨拶

開会式の後、7つの基調講演(Plenary Speech)があった。最初は、私の親しい友人の大連理工大学全燮教授から、アナモックス汚泥に使える機能性担体に関するあった研究報告があった。4番目の基調講演は日本の東北大学李玉友教授によるもので、HAPを核にするアナモックスグラニュールを使った処理に関して話された。最後の基調講演は、北海道大学の岡部聡教授からで、99%まで純化したアナモックス菌の生理特性に関する研究成果を話され、大きな注目を集めた。
7月4日の午後から5日の午後にかけ、トピックス毎に5会場で口頭発表があった。今回、IANAS2025 に合わせてFirst National Congress on Anammox plus Technologyも開催されたこともあり、2日間で158件の口頭発表(内、54件は若手研究者限定のセッション)と39件のポスター発表があった。
これほどの参加者によるアナモックスに特化した国際会議は私も経験したことがなく、中国におけるアナモックス研究の人気ぶり驚かされた。
口頭発表の会場に設けられた展示場で、アナモックス汚泥販売のブースが設けられていた。新瑞集団が、大豆油脂工場排水を1槽型のアナモックスリアクタ2基で NH4-N濃度350mg/Lの排水1200m3/dを処理していて、年間600m3の複合アナモックス汚泥が発生するとのこと。この発生する複合アナモックスグラニュールを希望者に販売する計画で、当面は研究用に1L、350元で販売予定とのこと。大量購入者には割引があるとのことだった。

2本で350元のアナモックスグラニュールの展示

展示ブースで配布されていたアナモックスグラニュールのパンフレット

1日目の発表が終了後、Banquetがホテルの宴会場で開催された。参加者全員が参加する大規模なBanquetになった。

Banquetでの山東大学倪寿清教授の挨拶

Banquet会場の様子

料理は、日本人にも食べやすい野菜、魚介類の多い中華料理でおいしくいただいた。青島なので青島ビールを期待していたが、全くアルコール飲料は供されなく、少々盛り上がりに欠けるBanquetとなった。中国共産党の指導部から出された「倹約と浪費反対に関する条例」への対応でアルコールは禁止とのこと。現状、この倹約令が独り歩きしている状態で、外食産業の落ち込みが懸念されている。

Banquet終了後に遅れて参加してきた教え子の張文杰・桂林理工大学教授と部屋で旧交を温めた。

張文杰・桂林理工大学教授とのツーショット

2日目、横田さん、和木さんの発表があり、活発な質疑応答があった。

和木さんの発表

横田さんの発表

教え子の大連理工大学・徐暁晨教授の発表

2日目の午後、熊本大学の私の研究室の修士課程修了した後、お茶の水大学で学位を取得し、その後ミシガン大学でポストドクを務め、現在、山東大学環境科学工程学院の教授となっている洪静教授と、彼女の旦那さんである李さんの案内で山東大学環境科学工程学院を見学した。

洪静教授の教授室で(右から2番目が洪教授、中央が李さん)

日曜ということもあり学生がまばらであった。キャンパスは広大で、キャンパス内には大学のバスが運行されている。学生のキャンパス内の移動は自転車、バイクとのこと。その後、大学から車で15分ほどの洪さんの自宅を訪問した。中国では少ない戸建て住宅で、中国の大学の先生の生活を垣間見ることができた。

洪先生の3階建ての自宅

IANAS2025の最終日は、倪教授が海岸でのバーベキューに私、岡部先生、釜山国立大学のLi Tahoe教授を招待してくれた。意外に美味しかったのがザリガニを香味野菜と調味料で味付けしたもの。その他、キス、イカ、サンマの串焼き、アサリ等の海産物を楽しんだ。

7月7日(月)は9時にロビーに集合し、倪教授の手配してくれたタクシーで空港に向かい、予定通りSC4093便(13:00発)で帰国した。

 

古川植物園(2024年12月6日)

今年の夏は、記録的な猛暑であった。自宅のベランダで園芸を楽しんで12年になるが、今年の暑さは植物にとっても過酷で、寒冷紗を2枚重ねで使用して遮光したにも係わらず、多くの鉢植えが夏を越すことができなかった。暑さに強いゼラニュームも。春に買った苗で、暑さに負けなく頑張り、11月まで花を咲かせてくれたのは、ペンタスと日日草のみであった。

12月でも元気に花をつけるペンタス(12月6日撮影)

意外だったのは、サルビア。6月に購入した苗が、夏の終わりには枯れる寸前だったのが、葉が残ったことからそのまま世話をしたところ、10月から元気を取り戻し、11月に入ってから元気に2度目の綺麗な花をつけてくれた。

今年に入り2回目の花をつけたサルビア(赤と紫の2種)
これまでにこのブログで紹介したデンマークカクタスは、園芸店で買ったものを、5年間にわたり連続して咲かせることに成功している。今年は買い増したたものを加え4鉢が元気に美しい花をつけてくれた。成功のポイントは春の葉つみに加え、夏の終わりの芽摘み、それに加えて春から秋にかけて直射日光に当てないことである。

4回目の花をつけた白色のデンマークカクタス

3回目の花をつけた赤色のデンマークカクタス

昨年購入した八重のつぼみを付けるデンマークカクタス

もう1点古川植物園の自慢は、鉢植えのポンセチアを3年間連続で葉に赤い色を付けることに成功していることである。今年で3年目となる鉢は短日処理で葉が赤くなった後、原因不明でしおれて失敗した。昨年頂いたポインセチアの葉を赤くすることに成功した。ポインセチアの葉を赤くするは9月末から40日程度、午後4時から朝の8時まで段ボールをかぶせて遮光しなければならない。ホームセンターで購入できる一番大きな段ボールを使って遮光した。これを3年目も楽しむのに合う大きさの段ボールがない。来年はこの株を思い切ってカットし、サイズダウンしたポインセチアに挑戦しようと思っている。

大きく育った2年目のポインセチア

連続して花を咲かせたデンマークカクタス4鉢と2年目のポンセチア、それに今年2回目の花をつけたサルビア

昨年頂いたポンセチアが大きく育ち今年も長く楽しめそう
日当たりのいいリビングにデンマークカクタス、ポンセチア、サルビア、それに園芸店で購入したシクラメンを並べ楽しんでいる。

2024年12月5日朝に撮影

 

 

都城への旅

宮崎県の都城市に出張した。都城は熊本大学に在職中に一度訪れたことあり、今回が2度目の訪問となる。
10月9日、10時50分伊丹発のJAL2433 便で宮崎空港に。不発弾の爆発で注目を集めた宮崎空港。現在は、「宮崎ブーゲンビリア空港」に名称が変わり、今年で愛称決定10周年ということで、空港内ではいろいろな催しが行われていた。空港前のバス停付近には、赤や紫色のブーゲンビリアが咲いていて、南国情緒にあふれていた。

愛称決定10周年のフラッグ

バス停前のブーゲンビリアがお出迎え

宮崎空港のバス停

昼食を空港でとった後、13:05空港発のバスで都城に向かう。バスは市内から東九州自動車道に入り、高城を経由して、都城ICで降りる。この地点からの眺めで、霧島山地と鰐塚山地に囲まれた広大な都城盆地を実感できた。高専前、道の駅都城のバス停の後、約1時間の乗車で都城駅前停留所に到着。

日豊本線の都城駅

駅前のホテルの窓から高千穂峰が望める
都城市は人口16万人の宮崎県第二の都市。駅前のビジネスホテルに宿をとったが、15時のチェックインまで時間があるので、荷物をホテルに預け、駅から徒歩15分の神柱(かんばしら)公園と神柱神社(神柱宮とも呼ばれる)を訪ねた。神柱神宮に隣接する神柱公園は大きな樹木に囲まれた芝生公園で、子供の遊べる遊具、子供広場、親水広場があり、よく整備されている。

年見川に設けられた親水歩道

水生植物(ホテイアオイ)による浄化施設

神柱公園の芝生公園(背後に見えるのは都城市総合文化ホール)
神柱神宮は、島津荘を開いた平季基(すえもと)が1026年に伊勢大神を勧請し創建したとされ、天照皇大神と豊受姫大神を主祭神とし、地域の人に篤く信仰されているとのこと。街のランドマークになっている大きな一の大鳥居は、昭和54年4月に開催された宮崎国体を記念して建立され、高さは25mで、建立当時、鉄筋コンクリート製では日本一の高さだった。

一の鳥居

神柱宮の看板

神柱宮の拝殿

神柱公園に隣接する都城市総合文化ホール

10月10日の13時30分から、農水省のプロジェクトの中間検討会に出席。検討会の後、懇親会が宮崎名物の鳥料理専門の店で開かれた。新鮮な鳥の刺身、鶏肉の炭火焼を肴に宮崎の焼酎を楽しんだ。

鶏の刺身盛り合わせ(この量で5人前!!)

10月11日、現地見学会で霧島高原近くに設置されたパイロットプラントの見学に行った後、霧島連山を一望できる絶好のロケーションにある高千穂牧場のメタン発酵処理施設を見学した。農業環境保全及び有機資源循環施設として国が1/2、件が1/6補助して建設されたこの処理施設では、乳牛100頭の糞尿を処理している。糞尿をメタン発酵し、発生するメタンガスを使って発電するとともに、発生する消化液を貯留し農場に肥料として散布するシステムで、平成16年4月から稼働している。この施設、ドイツの技術が使用されていて、順調に稼働していたが、発電機のトラブルで現在は発電をストップしているとのことであった。

バイオマスプラントを紹介する看板

育成牛舎

バイオマスプラントの全景(左の建物が発酵槽、右手がガスホルダー)

 

メタン発酵消化液(これを牧草地に散布する)

消化液の貯留タンク(手前は散布用のタンク車)

広大な牧草地(ここに消化液を散布する、背後山が高千穂峰(1574m)

牧草収穫作業中のトラクターが見える

バイオマスプラントに設けられた火山活動監視カメラ(背後の山は霧島連山)

堆肥化施設

高千穂牧場は、酪農家が消費者とともに考え、語り合える場所と体験し研修できる接点を持ちたいとの願望から生まれた。この場所は、戦前に陸軍の都城歩兵第23連隊の射撃場で、戦後開拓農家に払い下げされ開墾された。(高千穂牧場、バイオマスプラントのパンフレットから)現在は、無料で一般に公開され、子供たちがこの牧場で動物や土や草花に触れて体験学習できる施設として人気を集めている。平日にもかかわらづ、多くの保育園児や幼いお子さん連れで賑わっていた。

高千穂牧場の案内看板

芝生公園で遊ぶ幼稚園児

幼稚園バス(クジラが車の屋根に)

園内のレストランで脂が乗った宮崎豚の焼き肉の昼食をとった後、車で宮崎空港まで送ってもらい、宮崎発JAL2438便で帰阪した。

旭川への旅

15年前から梅雨のない北海道で6月か7月に友人達とゴルフを楽しむことが恒例となっていたが、コロナ禍以降は中止でした。今年は、再び北海道でのゴルフが企画された。同じような考えを持つ人が多いのと、海外特に韓国からのゴルフツアー客が増えたこともあり、夏場の北海道のゴルフ場はどこもフルブッキング。残念ながら、6月か7月にプレーを予約することができなかった。結局10月2日に恵庭市にあるエルムカントリーでプレーすることになった。今回、札幌ということで、体調を崩している旭川の友人を訪ねることにした。
9月30日(月)、9:10に関空から千歳空港に飛び、JRで札幌駅まで移動。札幌から旭川行の特急「カムイ17号」(13:00発)で旭川に移動した。車内は平日ということもありガラガラの状態。(JR北海道が大幅赤字に苦しんでいる状況が理解できる)夕張山地と増毛山地の間を流れる石狩川によって形成された石狩平野を、石狩川沿いに列車は函館本線を北上して旭川をめざす。
列車は岩見沢、美唄と石狩川に沿って右手に夕張山地を眺めながら北上。

美唄駅のホーム

夕張山地(右側)に見ながら列車は石狩平野を北上する

道路はまっすぐにのびている

カムイ号は、砂川駅、石狩川の支流の空知川を渡り滝川駅に停車。滝川駅の次は深川駅に停車した。駅の名前に“川”がついていて、地域が石狩川と密接に繋がっていることの現れである。札幌から深川駅まで全くトンネルがなかったが、深川駅からは夕張山地を抜ける長いトンネルが続いた。札幌から旭川まで快適な1時25分の列車の旅となった。
JR旭川駅は2011年に建設されたモダンな日本最北の高架駅である。旭川駅は、函館本線、宗谷本線、富良野線の起点となる重要な駅になっている。駅ビルを出ると駅前の広大な広場が広がる。

旭川駅

広大な駅前広場

左手にはイオンモール旭川店。目の前の駅前交差点を渡ると旭川買物公園に、ここは旭川駅から8条通りまでの1㎞の幅20mの通りを、1972年に歩行者天国にしたもので、旭川の商業の中心となっている。2002年に、ロードヒーティング、段差をなくするバリアフリー化、電線の地中化等のリニューアルがなされ現在に至っている。

旭川買物公園

宿は駅から5分のホテルにとった。午後3時半から友人が車で旭川市内を案内してくれた。夕食前に有名なラーメン村で旭川ラーメンを食した。

旭川ラーメン(少しこってり目の鶏ガラ、豚骨のスープで、麺は固めの中太のちぢれ麺)

その後、居酒屋で北海道の郷土料理で1次会、2次会は友人の知り合いの寿司屋で北海道の新鮮な魚を肴に旭川の地酒「男山」を楽しんだ。

10月1日の午前中に、友人に車で昭和通りから石狩川をまたぐ旭橋を渡り、陸上自衛隊旭川駐屯地に隣接する「北鎮記念館」に連れて行ってもらった。北鎮記念館では北海道の開拓の歩みと防衛を物語る資料を展示している。

北鎮記念館(駐車場からの写真)

正面入口を入り、簡単な手続きを済ませた後、順路に沿って館内を見学した。まず屯田兵のコーナー。北海道の開拓と維新で職を失った士族の救済を目的に、屯田兵制度が始まった。屯田兵には北海道の開拓に加えて、有事には北海道を防衛にあたることが求められた。石狩平野には多くの屯田兵が入植したが、札幌近郊には士族の入植が、旭川周辺には平民の入植が多かったとのこと。

屯田兵に支給された作業服と軍服

次いで、旧陸軍第七師団関連の展示コーナーに。明治29年に北海道防衛のために札幌に創設された第七師団が、明治34年に旭川に移転され、「軍都旭川」が生まれた。日露戦争における旧陸軍第七師団関係の資料、大正、昭和における旧陸軍第七師団の活動の歴史と貴重な資料が展示されていた。

第2代北海道長官でもあり、初代第七師団長で屯田兵の育ての親とされる「永山武四郎」の胸像との看板と第七師団の看板

石狩川の取水口から3㎞にわたり土中に埋められ使われた木製の水道管

吉葉山は1942年に応召され、山砲兵第七連隊に入営。入営して2か月は軍服がなく羽織・袴で過ごした。(写真2列の右端が吉葉山)吉葉山は復員後4年間のブランクを乗り越え稽古に励み、1954年1月に第43代横綱に昇進した。

最後に、大東亜戦争における旧陸軍第七師団の戦闘の展示があった。記念館の裏には、旧陸軍第七師団の哨所や指令部門柱が展示されていた。

建物の裏に展示されている第7師団の哨所や指令部門柱

見学後、昼食に旭川で人気の市内高砂台にある蕎麦処「扇松園」に友人に連れていっていただき、江丹別産の蕎麦を使った10割蕎麦をいただいた。そばの味もさることながら、量も十分で満足な昼食となった。

昼食後、旭川駅まで送ってもらい、旭川駅始発の「ライラック号」で札幌駅に向かった。

旭川発札幌行の特急「ライラック号」

第16回AETEEに関する国際ワークショップに参加

今年で16回目となるAdvanced Engineering Technology for Environment and Energy(AETEE)に関する国際ワークショップが、8月26日-28日に韓国・釜山で開催された。今回のワークショップは韓国が当番で、釜山国立大学校のTaeho Lee教授をChairmanとして開催された。日本から大阪大学、北里大学、山梨大学、中国から大連理工大学、山東大学、韓国から釜山国立大学、それにオンラインで今回初めてカナダのMacMaster大学が参加した。
26日に関空で大阪大学(池教授がリーダー)のグループと合流し、Busan Airで釜山空港に到着。釜山空港で成田からの北里大学(清教授がリーダー)、山梨大学(森教授、遠山教授がリーダー)の一行と合流した。釜山国立大学校がチャーターしたバスで、空港から釜山国立大学校とLee教授が所属する土木環境工学教室のラボツアーに向かった。釜山国立大学校は急斜面に立地し、緑に囲まれた歴史あるキャンパス。キャンパス内にはたくさんの百日紅が咲き乱れていた。

坂道のキャンパスを徒歩で移動

釜山大学博物館前で記念撮影

緑豊かな釜山国立大学校のキャンパス(前方左に花をつけた百日紅)

大学の資料館見学した後、土木環境教室の研究室を見学した。次にキャンパス内をバスで案内してもらい、最後に釜山大学博物館を訪ねたが、残念ながら時間外で中を見ることは出来なかった。宿泊は、海雲台近くのShilla stay Haeundae。韓国でも猛暑が続いていて、まだ海水浴客が多かった。

27日がワークショップ。Shilla stay Haeundae3階のBallroomで8:30―11:45、13:30-18:30で5つのセッションで学生の研究発表が行われた。開会式では、Lee教授の開会の挨拶の後、このワークショップの創設者として古川熊本大学名誉教授、金釜山国立大学校名誉教授(オンラインで参加)、大連理工大学の全教授、大阪大学の池教授、初参加のカナダのMacMaster大学のYounggy Kim教授(オンラインで参加)からのショートスピーチがあった。

Lee教授の開会の挨拶

古川のスピーチ

全教授(大連理工大学)のスピーチ

池教授(大阪大学)のスピーチ

フロリダ在住のこのワークショップの共同創設者である金名誉教授のスピーチ

オンラインでのMacMaster大学のYounggy Kim教授のスピーチ

Session 1ではValue-added Material Productionに関し6件の発表、Session 2ではAnammox and Nutrient Removal に関し6件の発表、Session 3ではWastewater treatment and Environmental Engineeringに関し6件の発表、Session 4ではAntibiotic Resistance and Hazardous Material Removalに関し6件の発表、Session 5ではPlant, Microalgae and Microbesに関し6件の発表があった。

ワークショップ終了後、全体写真を撮った。

学生による研究発表

参加者全員での記念写真

その後、優秀発表者を座長と組織委員会のメンバーで決定した。
ワークショップ後のバンケットは、ホテルから海雲台海水浴場沿いの道を15分歩いて、最近建設された100階建てのBusanX the Skyの99階のSky 99で開催された。

前方右のビル・100階建てのBusanX the Skyに海雲台海水浴場沿いの道を徒歩で移動

夕刻の海雲台海水浴場

100階の展望階からの眺め(海雲台海水浴場と広安大橋)

バンケットで大連理工大学の全教授(右)と喬教授(後ろ)

バンケットで大連理工大学の学生(徐教授の研究室の学生)と

最終日は、視察ツアー。9時にバスでツアーに出かける。バスで1時間近くかけて、釜山空港近くの洛東江(ラクトンガン)河口の乙淑島(ウルスクト)にあるエコセンターに到着。洛東江は韓国の最長河川(全長525㎞)で、大白山脈に端を発し、朝鮮半島東部を南北に流れている。このエコセンターは釜山市が運営している。この島は多くの渡り鳥が飛来することで知られ、バードウオッチのメッカとなっている。生態系が保全され、多種多様な植物、魚、鳥類、哺乳動物が生息していることいで知られ、環境学習の場として活用されている。

洛東江の流域図(右上の丸印が水源)

エコセンターの展望室からバードウォッチング

エコセンターでの記念写真

その後、K-waterが管理・運営している洛東江河口堤防の見学に。この近くまで干潮域で、堰を設けることで海水の侵入を防ぎ農業用水を確保している。堰による生態系の分断を避けるために、堰上流での塩分濃度をモニターしながら堰の開閉を行っている。この堰の上流15㎞に釜山市の水道水源があるとのことで、河口堰上流の水質に大きな関心が集まっているとのことであった。

洛東江河口堤防事務所の歓迎看板

洛東江河口堤防と水門ゲート塔

洛東江河口堤防事務所の展望デッキから洛東江を望む

洛東江河口堤防を見学後、Lee先生の案内で洛東江河口の漁村(鳴旨)に向かい、地元で有名なアオヤギのシャブシャブの昼食をとった。

鳴旨(ミョンジ)での昼食(アオヤギのシャブシャブ)

28日の夕食はFarewell Party で、海雲台海水浴場に面したビルの地下にある、The Pary Premium Haeundae-guブッフェスタイルで行われた。韓国料理を始め、寿司、天ぷらの日本食、イタリア料理を楽しんた。このFarewell Partyで、優秀発表者7人の表彰が行われた。

次回の当番は中国。これまで大連理工だ学、山東大学での開催はあるが、次回はのワークショップの更なる発展を祈念して私と個人的に交流のある、東北大学か北京工業大学に開催をお願いすることで先生方の合意を得た。

優秀発表者とLee教授

29日、ホテルを7時半に出て、阪大グループと合流しジャンボタクシーで空港に向かった。ラッシュ時で余裕を持ってホテルを出たが、プロの運転で1時間で空港に。台風10号の影響か、機材遅れで出発が1時間延びて、4時間も出発ロビーで待つこととなったが、無事帰国することができた。

 

長居植物園のアジサイ

6月7日(金)に大阪市立の長居植物園に紫陽花の鑑賞に出かけた。長居植物園は24.2haの広大な大阪市立植物園で、アジサイ園、バラ園、ハナショウブ園など11の園があり、四季を通じて花々を楽しむことができ、大阪では人気の植物園。
正門を進むと大池が目に入る。左側の遊歩道を進むと左側に沢山の白い花が壁のようにキョウチクトウであった。

白い花をつけた夾竹桃
さらに歩道を進むとハナショウブ園で、多種多様なハナショウブが見頃を迎えていた。

藍草紙(あいぞうし、濃いブルー紫の花)

士清(ことすが、白地に紫の縁の花)

五月晴(白にピンクのぼかしの花)

ハナショウブ園右手の大池には、色とりどりの可愛いスイレンが見頃となっていた。

赤と黄色の睡蓮

さらに園内を奥に進むと目的のアジサイ園に。雨の多い季節に花咲く紫陽花なので、梅雨入りの遅れている今年は、心なしか元気さに欠けていた。園内を流れる渓流沿いに様々な種類の紫陽花が見頃を迎えていた。真っ赤なアジサイや、カシワバアジサイが印象的に残った。

可憐なポールズ・ヒマラヤン

伊豆の華(東伊豆で発見されたガクアジサイ)

宝石のようなマジカルルビーレッド


アジサイ園を一周した後、シャクナゲ園を通り過ぎダリア園に。色とりどりの大型のダリアが見頃であった。

ダリア園の全景

大輪のダリア

ダリア園を過ぎるとバラ園。バラ園の左側に沢山の紫の花をつけた大きな木が目に入った。初めて目にするジャカランダ。

ジャカランダの木

ジャカランダは中南米原産の高木で、ホウオウボク、カエンボクと並んで世界三大花木の一つ。下から見上げるとまさしく紫色の雲のようで、日本名の「紫雲木」が納得できる。
最後にバラ園を見る。盛りが過ぎたものが多かったが、いつも見慣れている大阪市中之島公園のバラ園とは違ったつる性のバラが見頃であった。。中でも、3m近くの紫色のプリンスチャールズが4-5株ひときわ目を引いていた。

プリンスチャールズ

一重の赤いつるバラ、カクテル(アランドロンの恋人、ロミー・シュナイダーに捧げられたバラとして有名)

植物園内にある「自然史博物館」と「花と緑と自然の情報センター」に立ち寄り、植物園を後にした。

熊本大学ベトナム同窓会の設立記念式典

2023年10月28日(金)に熊本大学ベトナム同窓会(Kumamoto University Alumni Association in Vietnam)が正式に設立された。ベトナム・ハノイ市のパンパシフィックハノイで、小川久雄学長、大谷順副学長、ファン・チュン・ギア・ベトナム元日本留学生協会(VAJA)副会長の出席もと、同窓会の設立式が執り行われた。この設立式に、熊本大学から出席の要請を受け出席した。
最初に初代の同窓会・会長に選ばれた、ハノイ建設大学・Lieu Tho Bach副教授(バッチ先生)から会長の挨拶があり、同窓会設立までの経緯の説明があった。

バッチ熊本大学ベトナム同窓会・会長の挨拶
次いで、熊本大学小川学長の挨拶があり、熊本大学の現況、国際化への取り組み、ベトナム熊本大学同窓会への期待が述べられた。

小川熊本大学学長の挨拶
来賓として、VAJA副会長のファン・チュン・ギア先生、ハノイ建設大学国際協力課のNghiem Ha Tan副課長から祝辞があった。

大谷副学長からバッチ同窓会会長へのCertificateの授与
これに続いて、熊本大学ベトナム同窓会から小川学長に記念品の贈呈があった。熊本大学自然科学研究科の修士課程を修了した、Nguyen Thi Hai Duongさん(Bach先生の奥さん)による熊本大学五校本館の水彩画である。

バッチ同窓会会長から小川学長への熊本大学五校本館の水彩画の贈呈
休憩を挟んで、大谷順副学長から、熊本大学の教育・研究・国際化への取り組みの説明があった。

大谷順副学長による講演

次いで、古川(熊本大学名誉教授、元熊本大学副学長)から、これまでのベトナムの大学との交流について詳しい紹介とベトナム同窓会への期待が述べられた。

古川による熊本大学とベトナムとの国際交流に関する講演

教え子のDo Phuong Khanhさん(ハノイ・オープン大学)から花束の贈呈

設立記念式典出席者の全体写真

式典の後、隣の会場でベトナム同窓会の設立をお祝いするバンケットが執り行われた。同窓会会長のバッチ先生の挨拶の後、古川の音頭で乾杯がなされ、懇親会がスタートした。

バッチ同窓会会長による懇親会での挨拶

懇親会での古川の挨拶

乾杯!!

会の終盤でビンゴゲームが行われ、ビンゴした同窓生からそれぞれ挨拶があった。

懇親会の会場での懇談の様子

Tran Thi Hien Hoaさん(ハノイ建設大学副教授)の挨拶

Pham Khac Lieu君(フェ科学大学副教授)の挨拶

Doan Thu Haさん(ハノイ水資源大学副教授)の挨拶

Luong Ngoc Khanh君(ベトナム建設省)の挨拶

Tran Thanh Liem君(ベトナム資源環境省)の挨拶

最後に、バッチ先生の一本締めで懇親会を終了した。

バッチ先生の音頭で一本締め

懇親会終了後、教え子と記念写真(左から、ファム君、カーン君、古川、ホアさん、ハさん、バッチ先生、カーンさん、リム君)

大神神社参拝

大神神社前を通過した際に立派な大鳥居を見て、いつか訪ねたいと思っていたものの、コロナ騒動で行く機会を逸していた。「おとな旅」を始め多くのテレビ番組で大神神社が紹介されたこと、大神神社の摂社に私の専門である水にまつわる神社・狭井(さい)神社があることから興味がますます高まっていた。
今回、薬師寺拝観の足で、大神神社を訪れた。大鳥居をくぐると左右に無料の駐車場。そこから徒歩で参道を進み、二の鳥居に。ここから拝殿までの鬱蒼とした坂道を進む。両脇には献灯が並ぶ。この状況は春日大社にそっくりである。

二の鳥居

拝殿への参道

拝殿前の石段を上がり、拝殿に。大神神社の御神体は、背後の三輪山で、拝殿越しに参拝する。

拝殿前の石段

大神神社の拝殿
その後、拝殿の左手の祈祷殿を超えて、狭井神社に。結構な登りの参道を進むと、神社前の鳥居に。狭井神社は三輪の神様の荒魂を祀っており、強い神の力を持つことから、病気平癒の神社として信仰されている。このことから、参道の両脇には製薬会社から献灯された灯籠が並ぶ。

狭井神社参道

狭井神社拝殿

拝殿で参拝した後、拝殿の左奥に進むと、病気平癒に霊験のある薬井戸がある。ここから出る水は三輪山から湧き出た霊水で、自由にこの霊水を飲むことができる。注ぎ口の上にあるボタンを押し、備え付けの紙コップに霊水を受ける。飲んでみたが、なめらかな口当たりであった。

薬井戸

丸いボタンを押すと霊水が出る

狭井神社の拝殿右手には、三輪山登拝口がある。登拝するには、9時から12時までの間に申し込まなければならない。

三輪山登拝口
狭井神社の参拝を終えて少し下った右手に、大神神社の末社である市杵島姫(いちきしまひめ)神社に。朱色の社殿は鎮女池の中島にある。この神社の御祭神、市杵島姫命で水の守護神とされる。

鎮女池

鎮女池のほとりに、三島由紀夫が揮ごうした記念碑があった。説明文では、古神道の研究で大神神社参拝や三輪山登拝をして大いに感銘を受けた三島が色紙に「清明」としたためとある。後日三島から寄せられた感懐には、「・・・・・大神神社の神域は、ただ清明の一語に尽き、神のおん懐ろに抱かれて過ごした日夜は終生忘れえぬ思ひ出であります。・・・」

三島由紀夫が揮ごうした記念碑
その後、参道を下り、駐車場に。駐車場から三輪山を一望できた。

駐車場から三輪山を望む
少し遅い昼食は、大鳥居から1㎞の三輪山本で。極細の冷やし三輪そーめんと柿の葉寿司を頂いた。

冷やしそーめん